2021年6月 森のたより
「流れる日課」は私たちの保育の大切な概念の一つです。小さな子どもたちでは遊びから排泄、着替え、或いは手洗い、食事、睡眠へという一連の動作がいつもの通りに繰り返される中で心の動きや体の動きがスムーズになっていきます。これは特定の大人が一人の子どもへの援助や要求の満足に寄り添うことから可能になります。それが育児担当制というシステムでもあります。
育児は着脱、食事、排泄、睡眠といったような遊び以外の生活を総称するものです。英語圏ではALDと表します。アクティビティ・ダイニング・リビング。いわゆる普段の生活の舞台ですね。
そのいちいちをデキルできないで育てるのではなく、生活の流れとして、ひとまとめに習慣にしていこうということでもあります。このような視点から基本的生活習慣と言うこともあります。
スムーズな生活習慣の移行は、歩き始めるころから次第に定着していきます。大まかなめやすはあるものの、心や体の発達には個人差があり、何歳何か月までに「ここまでできていなければ」ということはありませんが、ついつい気になることですね。
本園では0歳児は3人に一人、1歳児は5人に一人、2歳児は6人に一人の保育者が担当となり、さらにフリーの保育者が関わっています。(ちなみに、これは国の基準を上回っています。60年以上前に作られた国の基準は現在ではあまりにも低すぎます)ただ単に小さい子だからというのではなくて、一人ひとりに必要な援助を必要な時にと考えればこその配置です。
3歳以上の幼児のお話しは次号に譲りますが、5月26日の中日新聞の1面には子どもたちのマスクのことが記事になっていました。「ようやく」との思いです。こんなはずではなかったと思うなかで、すでに1年以上も新型コロナ感染症予防のためのマスク着用が呼びかけられています。毎日のように検索サイトで探す中、十分ではないのですが、口見えマスクを求めました。せめてこのような工夫しかできませんが、未満児の育児の場面や、以上児の指導場面で連休明けから使用を始めています。
今更申すまでもありませんが、声は音だけではありません。音波を感じるのは聴覚だけでなく、触覚でも、さらに視覚でも音を感じます。呼びかけの声はシグナルだけではないのです。原始的な生き物であればあるほど触覚で音を感じます。ヒトは進化の先端にあるから触覚は鈍感になっているのではなく、進化の過程ではずせない感覚を備えたうえで発達し、この体となっているのです。赤ちゃんはことばを話す大人の声の響きを感じ、口元を見て発語を覚えていきます。
すでに完成された脳を持つ大人の考え方で毎日毎日育っていく脳を持つ子どものことを、さもわかっているように言っていますが、脳の発達にはまだまだ解らないことが多く、何が正解なのかわからない故に、今までのようなかかわりができないことに不安を持つのです。
大人には昨日の延長の1年ですが、子どもには二度とない大切な一年なのです。そのようなことを感じながら、園内研修や保育見学会を行ってまいります。